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過去から現在へ

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第12代目

ブドウ作りへの情熱は色褪せることなく受け継がれていきます。

現在、グラティオ・ピリエールの畑は18ヘクタール。シャルリー・シュール・マルヌ、ソルシェリ、ボネイユ、アジ・シュール・マルヌ、シャトー・ティエリの村々の燦々と陽の当たる斜面では、シャンパーニュ地方に伝わる三つのセパージュ‐ピノ・ムニエ、シャルドネ、ピノ・ノワール‐が栽培されています。

初代グラティオ・ピリエールであるフランソワーズとジャン=クロードには9人の孫がおり、代々の情熱が絶えることなく受け継がれています。孫たちはブドウ作りに興味津々、特に収穫期が大のお気に入りです。

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第11代目

ジャン=クロードとフランソワーズの二人の息子、オリヴィエとセバスチャンはワイン醸造を専門に学びました。今度は彼らが一族のワイン作りを担う番です。

彼らにとって初めての年である1991年は、波乱に満ちていました。春先に霜がおりたため、顔を出したばかりの若芽が大規模な被害を受けたのです。収穫は大打撃を受け、圧搾機は冷たいままこの年は終わりました。以後ヴァレ・ド・ラ・マルヌに霜が降りることは稀で、良質なブドウが豊かに実を結んでいます。

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グラティオ・ピリエールの誕生

ダニエルの息子であるジャン=クロード・グラティオも、最上のシャンパーニュ作りを目指す父の道を歩みました。1969年、彼は妻のフランソワーズ・ピリエールとともにグラティオ・ピリエールの名を冠した秀逸なシャンパーニュを作りにとりかかります。

当時のシャンパーニュは、現在ほどもてはやされてはいませんでした。自分の作ったシャンパーニュを広く知ってもらおうと、ジャン=クロードは週末ごとにパリとその近郊のマルシェからマルシェへと渡り歩きます。ほどなくグラティオ・ピリエールの手になるシャンパーニュの素晴らしさはワイン愛好者に知れ渡ることになり、さらに口コミで広がっていきました。意を得たジャン=クロードとフランソワーズは、さらに土地を広げ新しい苗を植え、生産量を上げることを決意しました。

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白ワインからシャンパーニュへ

ダニエル・グラティオの代で初めて、白ワインからシャンパーニュが作られました。

彼は数人のブドウ栽培者と協力して、共同でシャンパーニュ作りを手掛けようと決めます。

ダニエル・グラティオは、地域のブドウ栽培の発展に大きく寄与した一人として名を馳せるようになりました。

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激動の世紀の幕開け

マリー=デジレ・グラティオの代に、グラティオワインは初めてパリ農業コンクールで受賞しました。

グラティオの名と、洗練された秀逸なワインが結びつけられたことは、大変な名誉と喜びをもたらしました。

しかしメゾンには苦難の時代が待ち受けていました。20世紀初頭、ブドウネアブラムシがはびこり、ブドウ畑が広範にわたって荒らされました。さらに2回の世界大戦で、シャンパーニュ地方は荒廃の憂き目を見たのです。大きな損害をこうむりはしましたが、グラティオ家の心意気がくじかれることはありませんでした。彼らは倦むことなく、ブドウ畑と長年にわたって受け継がれてきた品質を立て直すことにつとめました。

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情熱の芽生え

グラティオ家とブドウの物語は1657年にさかのぼります。村の記録簿を調べてみると、シャルリー・シュール・マルヌ生まれのルイ・グラティオはグラティオワイン作りの指揮を執っていたとあります。

良質なブドウ、17世紀から続くワイン作り‐グラティオ家の評判はみるみるうちに広がりました。グラティオの名を冠したブドウ畑は、最古のブドウ畑の一つでもあるのです。

グラティオ家の系図

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